介護漫画「ペコロスの母に会いに行く」の漫画家・岡野雄一さんは今
西日本新聞、赤旗日曜版など5媒体で連載中
西日本新聞、しんぶん赤旗日曜版、月刊同朋(真宗大谷派東本願寺の機関誌)など5媒体で、漫画やエッセーを連載中というから忙しい。
「この年齢ですから、いつ連載が終わるかわからない、という危機感は強いですけどね。漫画もエッセーも以前と変わらず、僕の日常と両親のことを描いています。がんを患ってからは、オヤジについて描くことが増えています。80歳で亡くなった父は、生前、三菱造船所の社員であると同時に、アララギの歌人でもありました。父の残した歌を読み返すと、今の僕にとって“あるある”で、父の歩んだ道を僕がたどっているのだな、と気付かされます」
その父親は、若い頃は酔うと人が変わり、「ペコロス──」で描かれていた母・光江さん(2014年老衰で死去)は苦労した。
「今思えば、父は満州に出兵し、何とか帰国したと思ったら被爆するという、壮絶な体験をして心を病んでいたのでしょう。そんな父と父の歌を描き残しておきたい、という気持ちが強くなっています」
漫画のほか、長崎市民FMの30分番組「珍来ラジオ」で週1回しゃべったり、地元のライブハウスに長崎弁のオリジナルソングを歌うことで参加したりしている。
帰郷後に再婚した夫人と、実家の隣に家を建てて2人暮らし。38歳の息子は、実家で1人暮らしだ。
「『ペコロス――』の印税で御殿を建てたんでしょう、とよく言われるのですが、“普通の家”でローンもまだ残っていますよ(笑)。財布も妻まかせだから、印税もよくわからないんです」
夫婦で晩酌と年数回の国内旅行が楽しみだ。
さて、長崎市生まれの岡野さんは、「かっぱ天国」の清水崑に憧れ、20歳のとき上京。専門学校卒業後、職を転々とし、25歳のとき「少しでも漫画の近くにいたい」と司書房に入社。月刊誌「漫画エロス」編集長などアダルト系の漫画雑誌を多数手がけた。
40歳で帰郷後はタウン誌の編集長などをしながら漫画を描き、62歳のとき、「ペコロスの母に会いに行く」がベストセラーに。映画やドラマ、舞台にもなり、第42回日本漫画家協会賞を受賞した。
「もともと自費出版したものが広まったんです。介護や認知症が問題になってきた時代と合ったから、としか言いようがありません。僕の若い頃は劇画がはやりでしたから。プロになることを諦めきれず、『ペコロス──』を出す前にも東京へ出かけ大手出版社を回って売り込んだら、若い編集者に『お年ですから、趣味で楽しまれたらいいですよ』と諭されました。当時はカチンときたけれど、早くから売れていたら、のぼせ上がっていたでしょう。編集者の大変さもわかるし、『ペコロス──』の後は好きに描かせてもらえているので、これで良かった、と思っています」
(取材・文=中野裕子)