テレビ局を批判してキャスターを降ろされた中村敦夫
■1988年3月
3月9日、取材のため浜松にいた中村敦夫(当時48)を毎日放送の制作局長が訪ねてきた。同局で制作する「中村敦夫の地球発23時」のキャスターを4月から降りてくれと言いにきたのだ。関西で20%、関東で12%の高視聴率を叩き出す硬派ドキュメンタリー番組。その人気キャスターへのいきなりの降板通告は、あまりにも不可解だった。
ことの発端は3月4日に開かれた番組改編の発表記者会見。そこで中村はキー局のTBSを激しく非難した。噛みついたのは放送時間帯の変更についてだった。これまでの夜11時台を4月から夜7時台に移行することが決まっていた。
「TBSは何を考えているのか。『プライムタイム』が始まるからと22時を23時に変え、今度は2時間ドラマをやるからと19時へ。それで『プライム』の数字はどうなっているんですか」
「プライムタイム」はTBSで87年10月から始まった森本毅郎がメーンキャスターを務める報道番組。そのせいで、「地球発」は時間帯を変更させられてしまった。「プライム」は視聴率が低迷して中村のこの会見から半年後の88年9月で打ち切られることになる。