テレビ局を批判してキャスターを降ろされた中村敦夫
捨てる神あれば拾う神あり。89年10月から日本テレビで情報番組「中村敦夫のザ・サンデー」の司会に起用された。
「博学で見識もある中村氏のキャスター能力は高く買われていた。数字が取れるとの判断もあったはず」(前出の関係者)
最初、視聴率は伸び悩んでいたが、途中から上向きになっていた。そんな時になぜか、中村の降板が発表される。政界進出のためだった。
95年参院選では落選したが、98年に初当選。しかし、04年の2期目は落選。政界から離れ、中村のもともとの本業である俳優業に復帰した。ドラマや映画で渋い演技を見せるとともに朗読劇で全国を回るなど、精力的に活動している。
◇1988年3月 13日、青函トンネルで本州と北海道を結ぶJR津軽海峡線開通。17日、東京ドームの完工式。24日、中国に修学旅行中の高知学芸高校の1年生らが乗った急行列車が上海市郊外で別の急行列車と衝突。生徒や教諭27人が死亡。