しのぶの病気を聞いた村西とおるは「わかった」と一言だけ
残った数少ないプロデューサーが野田義治だった。
「その当時、腕がいいのはテレビ局のカメラマンなんだけど、彼らはドラマをつくっちゃうんですよ。イメージビデオなら5、6時間で撮影が終わるはずが、朝8時から始まって夜中の12時くらいまでカメラ回すんですよ。それが3日続いたらタレントが死んじゃう。村西のとっつぁんも、“この商品にはそんなもんいらないんだ。あくまでもイメージ(ビデオの中でお客さんを妄想させる)”という考えだった。ところが局のカメラマンはプライドと技術もあるから、自分がこんなエッチなものを撮ってるんだって思われたくないんですよ。そうするとどうしたって中途半端なものになってしまう。村西のとっつぁんも“この人たちにはエロは撮れないじゃん”って言い方されましたよね」
なかなか村西とおるが満足するイメージビデオは誕生しない。
「おれも頭にきちゃってさ、どうすればエロいイメージビデオ撮れるだろうと思って悩んだ」
すると野田の頭にある考えが思いついた。
(つづく)