(29)幸運な出会いと一抹の寂しさ…乗車料金2万円以上の乗客は、高校の同級生だった
「僕は180センチの背丈なので目立っていた。そのせいか、あるとき他校の不良に絡まれてね。流れでタイマンを張る羽目になったんだ。そいつから友達が腕時計をゆすり取られていたのを知っていたし、それを取り戻してやろうと……。相手はイキがってベルトの代わりにチェーンを巻いている。でも瞬殺の一本勝ち。僕が学ランの胸元を掴み払い腰で転がし、すぐに膝を首に当てた。相手は僕が柔道部で黒帯なのを知らなかったんだね」
さらにつづける。
「その件で退学になりそうだったけど、ある若い先生が猛反対してくれて停学ですんだんだ。その先生がいまは僕の病院の患者さん。僕が恩返しをする番だよ。人生はわからないね」
■自分の素性は明かせなかったけれど
話の内容から、私は驚くべきことに気づいた。なんと、そのお客は私と同じ高校の同級生だったのだ。親しく口を利くことはなかったが、バックミラーに映るその顔に見覚えがあった。素性を明かそうかとも思ったが、なぜか私はやめた。
「ドラマですね。いいお話をお聞かせいただきありがとうございました」
お客が降りるとき、私は丁重に礼を言った。「ワンメーター客の先の長距離客」という幸運な出会いではあったが、帰路、「私には同窓会の案内状は来なかったな」と一抹の寂しさを感じていた。そして、一人の同窓生とも交流のなかった半世紀をちょっぴり悔やんだりもしていた。