「清水の舞台から飛び降りる覚悟が必要」と東條は言った
![日中戦争で南京の中華門に向けて一斉砲撃を加える日本軍戦車隊(1937年12月)/(C)共同通信社](https://c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp/img/article/000/269/720/b6cd7322b7db0f61c40047137d899b2d20200228125510991_262_262.jpg)
東條陸相と近衛首相の対立は、単に外交か軍事かという衝突ではなかった。10月10日の近衛の私邸での四者会談以後、2人は極めて感情的に意見をぶつけ合った。14日の閣議では、近衛は「支那撤兵」を懇願の形で東條に伝えている。すると東條はますます居丈高になり、「撤兵とは退却のことです。譲…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り816文字/全文957文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】