アメリカと日本には最低でも30対1以上の戦力差があった

太平洋戦争の第3期から第4期にかけての分かれ目を昭和19年2月ごろ、と私は考えている。昭和19年1月からはマーシャル諸島攻撃に始まり、すでに記したようにクェゼリン島は玉砕している(2月5日)。このクェゼリン島とルオット島の2島に撃ち込んだ弾薬は爆弾300トン、艦砲砲弾4000ト…
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