「義理と人情とやせ我慢」を叩き込まれた衆院議員秘書時代

秋田の名士の息子として生まれ育った菅義偉は、上京した頃について、「思い出したくない暗い青春だった」と語ったことがあるが、ある意味、それは本音かもしれない。目的もなくただフラフラしていた生活は、1975年に小此木事務所に入ってから変わったのだろう。人並みの下積みを送っているようだ…
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