なぜ今、石橋湛山なのか(3)大波乱の政治生涯…落選するも無議席で蔵相に抜擢される

石橋湛山は戦後初の衆議院総選挙(昭和21年4月)に自由党公認候補として東京の選挙区から出馬するも惨敗する。
彼が小日本主義を主張したり、昭和初期の金解禁論争で正論を掲げて戦った唯一の人だと知っている人も多くはない。とても、「タスキは巡礼みたいで嫌だ」とか「無理に投票して…
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