中田が登板する直前、0─3の五回表に広島は2点を返した。野村監督にはここで中田を投入することで、打線のさらなる奮起を促す狙いがあったのだろうが、目先の1勝にこだわる起用は、特にリリーフ陣にはボディーブローのように後々に効いてくる。
98年に監督として横浜を日本一に導いた評論家の権藤博氏は、リリーフ陣にもローテーション制を導入。絶対的な抑えだった大魔神・佐々木の起用もセーブがつく場面のみと限定し、同点や負けている試合でも使いたくなるのを必死にこらえ、「監督の仕事は我慢することと知った。リリーフを無駄遣いしなかったからこそ優勝できた」と振り返っている。栄光は我慢の先にある。