本田圭佑「虚像と実像」(13)裏口と揶揄されたヘタクソが…
■プレースタイルは相変わらず
「石川選抜にJ注目の『本田』という選手がいるとは聞いていましたが、最初は気が付かなかった。姿を見た瞬間に『うわっ! 圭佑、こんなデカなったんか!』と仰天しました。ただし、プレーは相変わらずでした。周りに指示を出してばかり。キックはうまくなってましたけど、まったく走ってへんやんか、と(笑い)」(上野山)
高校3年の本田は星稜で背番号10を背負い、全国高校サッカー選手権で母校を初のベスト4に導いた。卒業後はJ1名古屋グランパスに入団。オランダ、ロシアを経て13年12月、世界に名だたる名門ACミランに移籍した。世界で羽ばたく本田を見るたびに、上野山の胸は少しだけ痛む。
「仮にユースに昇格させて3年間、フィジカルとスピードを鍛えていたら、圭佑は変わっていたかもしれない。そう考えれば、若い世代を育てる立場としては、悔しいという気持ちはやっぱりあります」
日本代表の主将を務めた宮本恒靖(元G大阪DF)。名門アーセナルでプレーした稲本潤一(川崎MF)。セリエA経験のある大黒将志(京都FW)。スペインでプレーした天才・家長昭博(大宮FW)。オランダで活躍した安田理大(鳥栖DF)。上野山が発掘した選手の多くは、順調に成長して日本を代表する選手に育った。唯一の見込み違いが本田だったのである。
「若手選手の育成は本当に難しい。圭佑を見るたびにそう考えさせられます。ガンバの基本はパス&ゴー。走らない圭佑はユースでも試合には出られなかったでしょう。彼はガンバを出たことで成長できた。今はそう思うようにしています」(上野山)