本田圭佑「虚像と実像」(12)星稜入りに指導者“たすきリレー”
ユース昇格を絶たれ地方の強豪に進学
中学3年の夏。ガンバ大阪のユース昇格を絶たれた本田は、石川の星稜高への進学を決めた。
元ヤンキースの松井秀喜が活躍した野球部とは違い、サッカー部はしょせん「北陸地方の強豪」に過ぎなかった。
G大阪でプロを目指していた本田にとって、発展途上の地方中堅校に進むのは、「都落ち」に見える。しかし、この本田の星稜高進学の裏には「大阪体育大コネクション」があったことはあまり知られていない。
小学4年で本田と出会い、その成長過程を見続けた田中章博(現摂津市教育委員会・部活動振興相談員)が「今だからこそ言えるのですが……」と前置きしながら舞台裏を明かす。
「パス&ゴーが基本のG大阪にあって、圭佑は精度の高いキックとパス、個人技で勝負をするタイプやったからね。ジュニアユースの監督だった島田(貴裕=現G大阪アカデミー本部・スクールマスター)は、圭佑の良さも悪さも知り尽くしていた。島田はそんな圭佑を母校・大阪体育大学の先輩で星稜高サッカー部監督の河崎(護)に指導してもらおうと考えたのです」