怪物江川卓が手にした5000万円の小切手
江川はわずか9年で現役引退
空白の一日には密約や裏金など、さまざまな噂が飛び交った。当時、巨人軍代表だった長谷川実雄氏(故人)はのちに「すべて墓場に持っていく。公にできない」と親しい人に話していたという。
若林氏は早速、正力オーナー(亨=故人)に面会を求め、事情を説明した。
オーナーは「やっぱり」と答え、しばらく考えてから「分かったと伝えろ」と言った。
「問題は金額でした。というのは、江川が引退したころはバブル景気のとき。入団時とは状況が違う。都内に土地付き一軒家となると、億単位になる。さすがにそれは用意できない。それで、お金でと考えたわけです。オーナーから『どれくらいだ』と聞かれたので、片手、5000万でしょうねと答えると、『それで手を打て、納得させろ』と」(若林氏)
若林氏はその回答を江川に伝えた。数日後、5000万円の小切手を渡すため、都内のホテルで江川と待ち合わせをすると、江川の傍らに銀行員がいたことを今でも鮮明に記憶しているという。
若林氏は、江川が初めて引退を明かした球団関係者でもあった。打ち明けられたのは、その年の西武との日本シリーズ(第1戦10月25日)の直前。シリーズ前に「エース引退報道」が流れてはチームの士気にかかわると、若林氏は江川と話し合い、シリーズ終了まで封印を決めた。
11月1日、西武球場での第6戦に負け、巨人は日本一を逃す。試合後、若林氏は宿泊先のホテルの王監督の部屋に江川を行かせた。もちろん、その時点で王監督は江川の決意を知らない。さぞ驚き、懸命に説得に当たると思いきや、江川は5分もしないうちに若林氏に報告に来た。
「私は宿舎の自室で待っていました。間もなく江川が『監督は了解してくれました』と言って戻ってきた。慌てて監督の部屋を訪ねましたよ。すると、王監督はこう言いました。『江川の顔を見た瞬間、分かったよ。選手というのは、若いときは綿アメみたいに大きくフワフワしてるが、だんだん小さく硬くなるんだ。ダイヤモンドみたいに硬くなる。オレもそうだった。そうなったら説得できないよ。礼を尽くして部屋に来て話をしたので了解したんだ』」
球団はそれでも水面下で必死に慰留を続けていたが、一部スポーツ紙がスクープ。9日夜、江川は夫人の実家で今季限りの引退を認めた。
引退発表の当日。球団がホテルに会見場を用意する一方で、王監督が“最後の説得”をすることになった。
部屋で待つ江川は、王監督が入ってくると「監督、すいません」と言うやいなやいきなり上半身、裸になった。その肩や腕には治療の痕があった。
「監督はジーッと見ていましたが、『もう何も言うな』とガバッと裸の江川を抱き締めたのです」(若林氏)
一連の江川引退を無事終わらせた若林氏だが、もうひとつ仕事が残っていた。江川を日本テレビ専属解説者にすることだった。若林氏が振り返る。
「日テレ幹部に頼まれましてね。君も将来、巨人のユニホームを着るんだろう。日テレの意向をくんでやったらどうかと説得しました。だが、江川は『いろいろ勉強したいので他局にも出たい』と最後まで首を縦に振らなかった。志はともかく、いろいろ勉強といっても、結局、タレント活動をしただけ。今に至るまで江川が巨人のユニホームを着ていないのは、そのときのことと無関係ではないでしょう。と同時に『空白の一日』で噴出したドラフト制度の問題はまだまだ改革が必要だと思います」
引退から28年。「空白の一日」「電撃引退」で世間を騒がせた江川が、「巨人復帰」で世間の注目を集めることはもうないだろう。