元阪神球団社長が明かした2004年「1リーグ構想」の“内幕”
私は球団取締役会で来年から1リーグは早過ぎること、この方針に沿って動くことに関して了承を得た。つまりはこの時点で当面の2リーグ制維持は私個人ではなく、阪神の総意ということになったはずだった。
私はセの3球団と個別に協議したうえで、神田にある巨人の球団事務所を訪ねた。土井球団社長と三山球団代表に2リーグ制維持のために徹底した議論を尽くす必要性などを訴えたものの、「総じて賛成しかねる」と言われた。
話がうまくいかなかったことを久万オーナーに電話で報告すると、「この責任をどう取るんや!」と怒られた。
久万オーナーはそもそも、渡辺オーナーの案に同調していた。巨人のおかげで阪神がある。寄らば大樹で、巨人についていれば阪神は安泰だと考えていたように思う。渡辺オーナーの影響か、12球団は多過ぎる、もう少し減らしたらそれぞれのファンが増えると、常々言っていた。渡辺オーナーとはしばしば電話でやりとりする間柄で、1リーグ制に同調することを伝えてもいたようだ。球団の役員会では「巨人とケンカするならキミが勝手にやれ!」と声を荒らげたこともあった。
それでも、2リーグ制維持は役員会の決定事項だ。「勝手に動き回っている」とか、「この責任をどう取る」と言われるのは筋が違う。私は思わずカッとなって、一方的に電話を切った。
私が球団案として2リーグ制維持で動いている頭越しに、オーナー同士が1リーグ制で同調している状況はやりづらいことこのうえなかった。巨人もそんな状況を奇異の目で見ていた。巨人を訪問したときも、後の実行委員会でも三山代表から「それは阪神案か野﨑案か」と言われたことがある。渡辺オーナーが「阪神はおかしなところだな」と皮肉たっぷりに言ったのは、そんな背景があったからだ。
そして8月、明大・一場投手への裏金問題が発覚して渡辺オーナーと堀川会長が辞任。土井社長と三山代表は解任された。旗振り役がいなくなったことに加え、1リーグ制に反対する選手会がストライキを行ったことが致命傷になり、球界再編問題は2リーグ制維持で決着した。