早すぎる死 “ミスターラグビー”平尾誠二さんが残した功罪
ミスターラグビーがこの世を去った。
ジャパンの司令塔として活躍し、代表監督も務めた平尾誠二氏が20日午前に死去。53歳の若さだった。所属先の神戸製鋼は死因を明らかにしていない。が、ここ数年は病気療養していたという。
甘いマスクと華麗なプレーでファンを魅了した平尾氏はエリート街道を歩んだ。京都・伏見工業高時代に主将として80年の全国大会を制覇。同志社大では82年度から全国大学選手権3連覇に貢献した。英国留学を経て入社した神戸製鋼では88年から主将としてチームを牽引し、日本選手権7連覇を成し遂げた。
日本代表デビューも史上最年少(当時)の19歳4カ月。W杯には87年の第1回大会から3大会連続で出場し、優れた状況判断と切れ味鋭いステップを武器に世界選抜にも名を連ねた。世界に通用した数少ない日本人選手のひとりだった。98年の現役引退後は神戸製鋼総監督やGM、日本代表監督を歴任した。
「SO、CTBとしての技量に加え、強烈なリーダーシップでチームを引っ張る文字通りの司令塔だった。最大の功績はラグビーの価値向上に尽力したことでしょう。スポーツを多角的に研究する『SCIX』という法人を設立し、指導法や練習法などに関するシンポジウムを開いたり、ラグビーの普及、強化を図るためプレーする機会のない中高生や女子向けのクラブも立ち上げた。『平尾プロジェクト』と題し、他競技のアスリートから適性を見抜いて転向させるなど、ラグビー界ではいち早く選手の発掘を行ったことでも知られています」(スポーツライター・松瀬学氏)