開星・山内弘和監督に聞いた “請負監督”の実態と待遇
「子供が7月に生まれて、女房は(出産して)3~4カ月後には仕事に復帰してました。俺は甲子園から帰ってきて9月にクビでしょ。校長兼理事長にクビになったと伝えたら、『11月に寮長として採用して家族で入れる態勢も整える』と言ってくれたんですけど、一軒家を建てたばかりで。だから職員という形でお願いして、翌年(07年)4月に採用していただいた。無職の半年間は俺が子育てしてました」
――主夫ですか?
「午前中に子供をみて、昼から半日保育みたいなところに預けて、そこから2~3時間パソコン教室に通って、その後野球部の練習という生活をしていました。事務職員といってもパソコンも使えんから、女房に『何や、ワードって? エクセルって?』と聞いている状態からスタートした。今は大抵のことなら何とかなるやろという感じになりました」
――請負監督としてのノルマや契約期間はあるんですか?
「ノルマはまったくない。前監督を引き継いだ後は『おまえには野々村野球の継承なんてできない』とか、『あの野球は野々村さんしかできない』とか言われたけど、一番大事なのは継承するしないじゃなくて、甲子園に行くこと」