息子・源は鹿島で自分の進むべきことに気づかされた
昌子も鳥取・米子北高校でサッカー選手としてあるべき姿勢の基礎を叩き込まれ、鹿島という一層厳しい環境で8年間プレーしている。それが大きな飛躍につながった。
「小笠原(満男)や中田浩二(現鹿島CRO)、岩政(大樹=東京ユナイテッド)、大迫(勇也=ブレーメン)といった先輩たちに『どうしてボールを出さないのか!』と日常的に厳しく怒られていたはず。大岩(剛)監督にも『FWに合わせていつでもワンステップでボールを蹴れるようにしておかないといけない』と口を酸っぱくして言われて日々、課題に取り組んだんだと思いますね」
その成果がロシアW杯で如実に出た。
コロンビアやセネガルに対しても冷静に対処する昌子の姿は大いに光った。
「自ら持ち上がって相手をかわし、数的優位をつくるプレーも見せていましたし、(利き足ではない)左足で持ち込んでも失うことはなかった。そういう仕事も、鹿島で自分が進むべきことに気づかされたから。姫路独協大の子らも、そうなるように育てていかないといけないですね」と力さんは神妙な面持ちで語る。