Jリーグ意識しギクシャク…昨季はJFL昇格のマイナス面露呈
全国リーグのJFL(日本フットボールリーグ)昇格を目指し、関東社会人リーグ1部で奮闘中のブリオベッカ浦安。2015年には全国地域サッカーリーグ決勝大会で準優勝し、念願のJFL入りを果たした。当時を振り返り、浦安の都並敏史テクニカルディレクター(TD)兼守備コーチが述懐する。
「JFL昇格を決めた2015年は選手たちのまとまりが飛躍的に高まり、すると<絆>が生まれて違うチームに変貌を遂げました。(MFの清水)康也(都並TDが仙台監督時代に仙台でプレー。鳥栖、東京Vを経て11年から17年まで浦安。現東京23FC)らが主軸となって監督の斎藤(芳行。現浦安U―18監督)がチームをまとめあげ、それが昇格につながりました」
初めてのJFLとなる16年は11位と奮闘。しかし、翌17年はシーズン中に2度の監督交代のテコ入れ策も実らず、15位で関東1部に降格した。
「JFL昇格のマイナス面が出ました。フロントも監督も、次のステップ=Jリーグを意識するあまりに新しい戦術を取り入れたり、どうしてもチームはギクシャクしてしまいました。浦安本来の手堅いサッカーをやっていれば、降格しないで済んだかも知れません。J2から初めてトップカテゴリーに昇格し、スタイルの違うJ1仕様のサッカーを志向してダメになるクラブも多い。それと同じことが起きました」