日ハム吉田輝星の原点 「投球フォーム」に託した父の願い
2001年1月12日、吉田家の長男として、3485グラムの大きな男の子が生まれた。父の正樹さん(43)はまるで猿のようだと思った。
母のまゆみさん(41)と話し合って、名前は「こうせい」に決めた。
きっかけは、その半年前にあった。00年夏、シドニー五輪で柔道男子100キロ級の井上康生(現・柔道男子日本代表監督)が金メダルを獲得し、母の遺影を手に表彰台に上がった。正樹さんは、井上のひたむきな柔道と人柄にひかれた。星のように輝いてほしいとの願いを込め、漢字は「輝星」とした。
正樹さんは金足農で投手だった。輝星にも野球をやってほしいと思った。生後まもなく、遊び道具として軟らかいゴムボールを与えた。正樹さんが所属する草野球チームの試合にも連れていった。輝星は幼い頃から、野球が身近にあった。
輝星が小学校へ入学してすぐに、正樹さんは輝星を連れて、スポーツ用具店へ出かけた。
「入学祝いだ。どれがいい?」
輝星は茶系のナチュラルな色の軟式グラブを選んだ。8000円ほどだった。