日ハム吉田輝星の原点 「投球フォーム」に託した父の願い
「きちんとした体の使い方ができず、筋力も足りなかった。それが肩の痛みにつながったと思います。輝星の投げ方にこだわったのは、自分のようにケガで苦しんでほしくない、という思いもありました」
当時をこう振り返る正樹さんは高校卒業後、地元の流通関係の会社に就職し、今年で25年目になる。野球部があったことが入社の決め手になった。数年後に同僚だったまゆみさんと結婚。倉庫の商品管理の仕事に従事する。野球部は入社後まもなく廃部になったが、現在も草野球チームに所属している。
まゆみさんはいま、社員として働きながら、子どもたちを支える。輝星が朝6時すぎに登校するため、5時ごろには起床して食事を用意する。
以前は実家の離れのような場所で、家族4人が川の字になって寝ていた。輝星と次男の大輝くん(11)が大きくなり、5年ほど前に新しい家を構えた。
輝星は父の背中を追いかけ、同じ金足農に進学。今夏、父の果たせなかった夢をかなえた。甲子園で881球を投じて「金足農旋風」の立役者となり、日本ハムに1位指名された。