六川亨氏特別寄稿<下>W杯GL突破の日本にはいつも彼がいた
日韓共催W杯開幕の3カ月半前の2002年2月15日。英ポーツマスを訪れた。GKとして初の欧州移籍をかなえた川口能活に会いに行った。
取材が終わった後、彼の運転するクルマでポーツマス港に近いレストランで夕食をともにした。
体脂肪をコントロールするために「肉は鶏肉のささ身しか食べません」と徹底した体調管理が印象的だった。
地元開催W杯を前に守護神の座を争っているGK楢崎正剛(名古屋)について「僕にとって特別な存在です。ナラがいたからこの年まで続けることができました」と現役最後の試合(2日のJ3鹿児島戦)前に川口は話してくれた。結局、日韓W杯は楢崎が正GKを務めたが、4年後の06年ドイツ大会ではグループリーグ3試合で川口が日本のゴールマウスを守った。
初戦のオーストラリア戦では、執拗なロングボール攻撃に苦しんだ。DFの坪井慶介(山口)は身長179センチ、宮本恒靖(G大阪監督)は176センチ。空中戦は187センチの中沢佑二(横浜M)が担当した。しかし度重なる攻撃に中沢のジャンプ力が落ちてきた。そこで180センチの川口が「佑二が疲弊していたので飛び出した方がいいと判断した」場面で失点を食らい、最後は逆転負けを喫した。