反町康治さん<4>20代後半で発足したプロリーグへの危惧
仕事はきっちりこなしていたし、全日空で勤め上げる将来にまったく疑問はなかった。年功序列の終身雇用が当たり前で、中途退社するのは何か問題を起こした人ぐらいだと受け止められていた時代だ。
そんな中でプロ化の波が押し寄せる。チームは91年にJリーグに加盟。反町さんは人生の岐路に立たされた。
「その頃はもう28歳ぐらいだったので、プロになる考えはなかったですね。今は解説者として活躍している福田正博(元浦和レッズ)も当時は三菱の社員で、『ソリさん、どうするの?』って電話で聞かれましたが、『俺? 俺はもう年寄りだし、Jでやっても1~2年だから、会社に残るよ』って。まだ23歳ぐらいだったら、すぐプロになっていたと思うけど、踏ん切りがつきませんでした」
プロリーグに対する危惧もあった。
「本当にできるのか、続かないんじゃないかって。米国のプロリーグも、今はMLSがありますが、一度ダメになっていますからね。プロになれば給料が上がるかもしれないけど、手に職があるわけではないし、潰れたら行き場がない。日本人の特性として、お祭り騒ぎで始まったものは、どんどんコケていくことが多いでしょ? ちょうどバブルも終わりが見えていた頃でもあったし、不安だったんです」
93年のJリーグ開幕後も反町さんは会社員としてピッチに立った。おかげで「サラリーマンJリーガー」として脚光を浴びることになる。 =つづく
(取材・文=二口隆光/日刊ゲンダイ)