交流戦首位打者に オリ中川圭太“最後のPL戦士”の波瀾万丈
「永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット」の著者で、PL野球部に詳しいノンフィクションライターの柳川悠二氏が言う。
「この部内暴力を機に、PL学園は野球部廃部に舵を切った。中川はPLが野球部に力を入れていた、最後の代の選手です。当時はまだOBの深瀬コーチなどがいたので技術指導は受けていたが、なにせ監督は素人。キャプテンの中川が実質的な監督を務めていた。攻撃中のサインは控え選手が出し、守備中は二塁手の中川が指示を飛ばしていました。キャプテン兼二塁手兼監督で、部員の精神的支柱だったことは間違いありません。3年夏に大阪大会の決勝戦まで進んだのは、中川の功績も大きいのではないか」
その決勝では1―9で大阪桐蔭にボロ負け。中川はプロ志望届を提出するも指名はなく、東洋大に進学。大学1年の夏、母校野球部の休部が決まった。
東洋大4年春まで順調に活躍してドラフト上位候補になるも、その後から調子を崩し、評価が急落。3年時に選ばれた大学日本代表の選考にも落ちた。
「ちょうど、そのころにインタビューをしましたが、大学日本代表落選については、あまり気落ちした様子はなかった。PL時代から逆境に揉まれていたので、それを受け入れる術を知っていたのかもしれません」(前出の柳川氏)
PL出身でドラフト指名されたのは、今のところ中川が最後。「最後のPL戦士」として、チーム浮上に貢献したい。