“ミスターアマ野球”右腕の杉浦正則は韓国戦の切り札だった
私は現地でスポーツ紙の解説を務めていた。3敗目を喫した予選リーグの米国戦後に、士気を上げるために仲間を強い口調で叱責したとも聞いた。試合は四回途中で降板したものの、非常に闘志あふれる投球だった。日本は初回に一挙6得点を挙げるなど、まるで違うチームに変貌したのが分かった。
そして、準決勝の米国戦を5回無失点に抑え、決勝進出。試合前、私はソウル、バルセロナで米国と戦った経験をもとに、捕手の大久保秀昭(日本石油↓近鉄。現ENEOS監督)と攻め方について、「内角はあくまでボール球として使い、外角中心の配球で杉浦の外に逃げていくスライダーを投げれば、空振りを取れるのではないか」という話をした。予選リーグで5―15と大敗した際、内角へはストライクゾーン中心に攻めていたが、それが一番危険だと考えた。米国の打者は外角球を踏み込んで打ってくるが、あくまで外角中心で攻めることがベストだと思い、大久保に伝えた。
さらに大学生で構成される米国は、NCAA(全米大学体育協会)のルールにより、野球は春シーズンのスポーツとして活動期間は約6カ月と決まっている。秋や冬にはバスケットなど別のスポーツに取り組む。一年中、野球をやっている日本の選手よりも経験値が少なく、打者は指導者から「とにかく強く打て、遠くに飛ばせ」と教わる。五輪が行われる8月時点では杉浦のスライダーに対応できず、打席で修正する力はまだないとも考えた。
こうした米国チームの特徴は杉浦たちも理解していただろうし、より自信を持って米国戦へ臨めたと思う。 (つづく)