“ミスターアマ野球”右腕の杉浦正則は韓国戦の切り札だった
日本生命でプレーしていた右腕の杉浦正則は、1992年バルセロナ五輪から2000年シドニー五輪まで3大会連続出場。シドニーでは日本選手団の主将を務め、「ミスターアマ野球」「ミスター五輪」と言われた。
■3つの長所があるスライダー
杉浦を最初に代表に招聘したのは、90年10月のアジア競技大会(中国・北京)。当時、同志社大4年だった杉浦は、代表入りしたことに驚いていたが、私は杉浦のスライダーが対韓国戦の切り札になるという予感があった。多彩な変化球を持っていて、中でもスライダーは3つの長所を兼ね備えていた。大きく曲がるだけでなく、打者の手元でブレーキがかかり、ストライクゾーンからボールゾーンへと逃げていく。狙ったところに投げられる制球力もあった。
韓国の打者は総じて速球に強い。少々の速い球なら打ち返すパワーがあった。打ち取るためには、変化球が重要になる。杉浦のスライダーは打ち気をそらし、タイミングを外し、バットに空を切らせる勝負球になるとみていた。