“ミスターアマ野球”右腕の杉浦正則は韓国戦の切り札だった
実際、アジア大会での韓国戦はスライダーを有効に使い、2回3分の1を1安打無失点。同年11~12月のIBA会長杯(台湾・台北)では準決勝の韓国戦に先発し、1失点で完投勝利を収めた。来年の五輪予選は杉浦に韓国戦を託そう――。予感は確信に変わった。
こうして91年9月、バルセロナ五輪の出場権をかけたアジア選手権を迎えた。韓国、台湾など7チームが出場する中、決勝リーグ2戦目で韓国と対戦。初戦は豪州に敗れ、負ければ敗退という窮地で杉浦は素晴らしい投球をした。二回にはスライダーで3者連続三振に打ち取るなど、スライダーを全投球の半分以上は投げたはずだ。鄭珉台(のちに巨人でプレー)との投げ合いを制し、4安打1失点で完投勝利。チームを生き返らせる値千金の投球だった。
バルセロナ五輪では、リリーフとして9試合中5試合に登板。米国との3位決定戦では五回途中から3番手としてマウンドに上がり、1安打無失点で勝利に貢献した。
杉浦は人一倍、五輪に懸ける思いが強く、また逆境に強い。96年アトランタ五輪では大会直前に右太もも内転筋を痛めていたが、予選リーグで1勝3敗となり、いよいよ後がないニカラグア戦で先発を直訴した。