著者のコラム一覧
山中正竹ソウル五輪コーチ/バルセロナ五輪監督

1947年4月24日、大分県生まれ。佐伯鶴城高、法政大、住友金属工業で投手としてプレー。東京六大学最多勝利記録保持者(48勝)。住友金属で監督を務めた後、88年ソウル五輪コーチで銀メダル、92年バルセロナ五輪監督で銅メダルを獲得。法政大監督、横浜ベイスターズ専務などを歴任し、2016年野球殿堂入り。17年から侍ジャパン強化委員会強化本部長を務め、18年に全日本野球協会会長に就任。169センチ、64キロ。左投げ左打ち。

“ミスターアマ野球”右腕の杉浦正則は韓国戦の切り札だった

公開日: 更新日:

 実際、アジア大会での韓国戦はスライダーを有効に使い、2回3分の1を1安打無失点。同年11~12月のIBA会長杯(台湾・台北)では準決勝の韓国戦に先発し、1失点で完投勝利を収めた。来年の五輪予選は杉浦に韓国戦を託そう――。予感は確信に変わった。

 こうして91年9月、バルセロナ五輪の出場権をかけたアジア選手権を迎えた。韓国、台湾など7チームが出場する中、決勝リーグ2戦目で韓国と対戦。初戦は豪州に敗れ、負ければ敗退という窮地で杉浦は素晴らしい投球をした。二回にはスライダーで3者連続三振に打ち取るなど、スライダーを全投球の半分以上は投げたはずだ。鄭珉台(のちに巨人でプレー)との投げ合いを制し、4安打1失点で完投勝利。チームを生き返らせる値千金の投球だった。

 バルセロナ五輪では、リリーフとして9試合中5試合に登板。米国との3位決定戦では五回途中から3番手としてマウンドに上がり、1安打無失点で勝利に貢献した。

 杉浦は人一倍、五輪に懸ける思いが強く、また逆境に強い。96年アトランタ五輪では大会直前に右太もも内転筋を痛めていたが、予選リーグで1勝3敗となり、いよいよ後がないニカラグア戦で先発を直訴した。

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    ロッテ佐々木朗希は母親と一緒に「米国に行かせろ」の一点張り…繰り広げられる泥沼交渉劇

  2. 2

    米挑戦表明の日本ハム上沢直之がやらかした「痛恨過ぎる悪手」…メジャースカウトが指摘

  3. 3

    陰で糸引く「黒幕」に佐々木朗希が壊される…育成段階でのメジャー挑戦が招く破滅的結末

  4. 4

    9000人をリストラする日産自動車を“買収”するのは三菱商事か、ホンダなのか?

  5. 5

    巨人「FA3人取り」の痛すぎる人的代償…小林誠司はプロテクト漏れ濃厚、秋広優人は当落線上か

  1. 6

    斎藤元彦氏がまさかの“出戻り”知事復帰…兵庫県職員は「さらなるモンスター化」に戦々恐々

  2. 7

    「結婚願望」語りは予防線?それとも…Snow Man目黒蓮ファンがざわつく「犬」と「1年後」

  3. 8

    石破首相「集合写真」欠席に続き会議でも非礼…スマホいじり、座ったまま他国首脳と挨拶…《相手もカチンとくるで》とSNS

  4. 9

    W杯本番で「背番号10」を着ける森保J戦士は誰?久保建英、堂安律、南野拓実らで競争激化必至

  5. 10

    家族も困惑…阪神ドラ1大山悠輔を襲った“金本血縁”騒動