柔道大家・神永昭夫氏が見抜いた小久保裕紀の“大器の資質”
前日本代表監督である小久保裕紀(青学大→ダイエー)との縁は、1992年バルセロナ五輪から遡ること15年ほど前、私がまだ住友金属(和歌山)で選手だった頃から始まった。
■住金の薬剤師だった母
当時の会社には、社員用の病院と薬局があった。薬をもらいに薬局へ行った際、常駐している女性の薬剤師さんと何げない会話をしていると、私が野球部にいることを知っているからか、「小学生の息子が野球をしているんですよ」と言う。「将来、ぜひとも住金の中心選手になってほしいですね」と笑いながら話をしてその場は終わり、その後、住金で4年間、監督を務め、退任後は和歌山から東京へ転勤するなどもあって、私はその薬剤師さんのこともすっかり忘れていた。
その記憶がふと蘇ったのが92年春だった。直後に行われる台湾との壮行試合を前に、和歌山で住友金属とオープン戦を行った。メンバー入りしていた青学大3年生の小久保は和歌山出身。故郷での試合ということで母の利子さん(故人)が試合を観戦していた。