「このままのメンバーで…」主将高見が訴えたチームの総意
バルセロナの日本代表のチームは、主将の高見やベテランの西正文(大阪ガス)ら代表の固定メンバーや、マネジャーとして選手を支えた廣瀬たちが一丸となってつくり上げてきた。高見が話したことは、他の選手たちや廣瀬を含めたチームの総意だという。
「分かった。西山には、もう部屋へ来る必要はないと伝えてくれ」
私は主将の言葉を重く受け止め、西山をバルセロナへ連れて行くことにした。
大会中も何とか調子を上げてくれたらという思いはあったけれど、五輪での登板は1試合、1イニングにとどまった。西山の右肘の靱帯に僅かな亀裂が入っていることが分かったのは、大会が終わった後だった。
私は西山の存在感の大きさと、かねて目指していた一つのチームとしての結束力を重視し、代表に登録した。92年の春先に西山と話し合った時、彼は自分自身を必死に鼓舞しようとしていた。
大会後、西山に対して本当は肘が痛かったのかどうか、確認するようなことはしていないが、靱帯に亀裂が入っていたくらいだから、おそらく痛みを抱えていたのだろう。しかし西山は、一度も自分から「痛い」と口にしたことはなかった。代表選手としての矜持もあったはずだ。