翔猿は流れ流され気付けば幕内 第2志望の相撲で結果を出す
28歳・追手風部屋・前頭14枚目
阿武松親方(元前頭大道)ら複数の関取を輩出した葛飾区の大道中学校を卒業後は、相撲強豪校の埼玉栄に進学。さらに日大相撲部を経て角界入り……と聞けば、疑いようもない相撲エリートである。しかし、実情はいささか異なる。
小学生の頃、地元江戸川区の相撲道場に通い始めたのは、実兄・英乃海(現十両、最高位前頭12枚目)の影響だった。当時の翔猿少年は「相撲より野球」。甲子園出場、そしてプロ野球選手が夢だったという。
それでも、道場の厳しい稽古もあってか「野球に専念したい」とは言い切れないまま、大道中学校に進学。結局、野球は諦める羽目になり、高校も兄と同じ埼玉栄を選んだ。
「翔猿は大の子供好き。この頃から『将来は保育士になりたい』と思っていたものの、なにせ兄も力士ですからね。相撲の面白さにも目覚め、『このまま相撲をやめていいものか。でも保育士にもなりたいし……』と、悩んでいたそうです。結局、本心を言い出せず、日大に進学した」(タニマチ筋)
大学時代は3年時に東日本学生相撲選手権で団体優勝に貢献。その後は右足首の骨折もあり、満足な成績を残せなかった。卒業後は兄の所属する木瀬部屋ではなく、日大出身者の多い追手風部屋に入門。今場所が新入幕だ。