ミスター雁之助さん デスマッチの鬼は介護職員に大転身
頭からつま先まで何十回骨折したやら
さて、1968年6月20日、長崎県長崎市に生まれた雁之助さんは、地元高校を卒業後、熊本商科大学(現・熊本学園大学)に進学。同大プロレス研究会での同期が、後にFMWに入門する故・ハヤブサさんだ。
「キッチリと練習はしたけど、リングの上ではいかにお笑いを取るか! が勝負。なのでリングネームは俺が『ソープ延長』、ハヤブサが『肥後瑞喜』。大学4年の時に大橋巨泉さん司会の『クイズダービー』(TBS系)の大学プロレス研究会大会に2人で出演したら、局側が『肥後瑞喜』にNG。『馬刺しおてもやん』に変更されたもんだよ」
卒業後、伊藤ハムに内定していた91年3月、「チャレンジもせんで諦めたら一生後悔する」と、ハヤブサさんとFMWの入門試験を受験。40人中、2人だけ合格し、プロレスラーへの道を歩き始めた。
デビュー戦は同年6月の北海道羽幌町大会。身長178センチ・体重100キロ弱と恵まれた体格ではなかったが、どれだけボコボコにされても相手に立ち向かうタフさを武器に、巧みな試合運びでメキメキと頭角を現していった。
そして、95年2月には大仁田厚と組んで世界ブラスナックルタッグ王座を奪取。FMW離脱後の同年12月にはターザン後藤とのタッグで、米NWA王座を戴冠するなど、全日本、新日本といった老舗団体のレスラーに引けを取らない活躍ぶりでファンをうならせた。
97年にFMWに復帰するも、02年に同団体が倒産。以降は全日本、ゼロワン、無我、ガッツワールドへの参戦、自主興行「鬼神道」プロデュース、女子団体「アイスリボン」最高顧問、ガッツワールドプロレスリング参戦・相談役と、18年4月に引退するまでプロレス一筋で生きてきた。
「頭のてっぺんからつま先まで、何十回骨折したことやら。17年3月、熊本での試合中に顔面に十数カ所の骨折を負い、全治3カ月と診断されたこともあったしね」
バツ2で独身。競馬番組のゲストに呼ばれるほど競馬好きだ。
(取材・文=高鍬真之)