「あんな相撲のどこがいい相撲だ」豊昇龍にも通じる元横綱・朝潮の戒め
1980年代、高砂部屋に西サモア出身の南海龍という力士がいた。公募で集まった若者の中からスカウトされ、84年秋場所初土俵。87年夏場所で新十両、同年九州場所には幕内へ昇進した。
188センチ、150キロ。筋肉質で腕力も下半身も強く、大関、いや横綱も夢ではなかった。酒で大失敗を繰り返し、わずか4年1場所で土俵を去ったが、酒がなければと惜しまれる。
南海龍が幕下の頃だったと思う。相手に寄られながら残し、逆転勝ちした翌日、当時の高砂親方(元横綱朝潮)に「きのうはいい相撲でしたね」と向けると、太くて長い眉毛をつり上げた。
「何だって? あんな相撲のどこがいい相撲だ。何年見てるんだ」
大きな顔が目の前に迫る恐怖を感じつつ、自分の不明を恥じた。粘りをほめるつもりで私の聞き方が悪かったのだが、「いい相撲」とは、踏み込んで先手を取り、寄るなり押すなり自分の持ち味を出し、相手の反撃も防いで攻め切る相撲。当たり前のことだ。
だが、メディアは必要以上に逆転勝ちをほめそやす傾向がある。私にも、そんなうかつさがあったのだろう。
後にプロ野球担当になり、チームの連勝が伸びるにつれて逆転勝ちが増えた時だ。各紙が「強さ本物」と騒ぐのを見たコーチが、「もう止まるよ。初めから逆転勝ちを狙って試合しないからな」と言うのを聞き、高砂親方の戒めを思い出した。
レース競技の駆け引きはまた別として、対面して闘う競技ではまず、危なげなく、勝つべくして勝てるかが地力を表す。横綱照ノ富士が休場し、上位陣が大関貴景勝だけの非常事態で8日に始まった初場所。4関脇4小結も異例だが、ここから救世主が出るだろうか。