野村監督の冷徹な計算 シーズン半ばで主力選手を休ませた
前半戦のヤクルトは38勝37敗と勝率5割をキープしていたが、7、8、9月は負け越して9月末には最下位に転落。結局、62勝68敗、勝率.477の4位タイでシーズンを終えた。
「来季を考えて戦うにしても、まだシーズン半ば。しかも、野村監督は複数年契約だからいいが、コーチは基本的に1年契約。Aクラスか、Bクラスかによってクビがかかってくる。だから少しでも上位を狙いたい。選手だって試合に出て少しでも成績を上げたいものですよ」
そのコーチはあらためてこう語っていたが、シーズン後半戦を負け越したヤクルトは野村監督の思惑通り、翌年にリーグ優勝、日本一になった。
「野村ID野球」「野村再生工場」ともてはやされたが、その裏には冷徹な計算が隠されていたのである。
ちなみに1994年のシーズンオフで、ヤクルトは若松勉打撃コーチが二軍監督に就任したものの、3人の一軍コーチが退任し、2人が配置転換となった。
▽富岡二郎 スポーツジャーナリスト。1949年生まれ。東京都出身。雑誌記者を経て新聞社でスポーツ、特にプロ野球を担当。