球界随一の理論派がなぜ一生の伴侶に沙知代夫人を選んだか
初めて沙知代夫人と会ったのは1995年、神宮の室内練習場だった。彼女は港東ムースというリトルリーグのオーナーを務めていた。
野村監督は時間があれば顔を出す。連れだってリトルの練習を見ていたときのことだった。
沙知代さんが「ちょっと」と保護者のひとりを呼んで、こう言った。
「あのひとに言っといて。子どもをぶつな、って。でなきゃクビにする。子どもをぶっていいのはあたしだけなんだから」
選手を殴ったコーチが許せなかったのだ。
遅れてきた息子の野村克則氏が隣に座った。当時、明大の4年生。11月のドラフトでヤクルトから3巡目指名、プロ入りが決まっていた。その克則氏に、つい心構えなどを話した。父親が偉大だから、などとアドバイスしたのだが、話の途中で黙って消えた。しばらくして両親も消えた。
■「あなた、息子に何言ったの?」
練習場の外へ呼び出されて沙知代さんに言われた。