“平成のタイガーマスク”坂本博之さん 今も子供たちを支援
坂本博之さん(元東洋太平洋ライト級チャンピオン/50歳)
“平成のタイガーマスク”と呼ばれた。児童養護施設出身の元OPBF東洋太平洋チャンピオン・坂本博之さんだ。ハードパンチャーで鳴らし、2000年10月11日、王者、畑山隆則に挑んだ世界戦は敗れはしたが「年間最高試合」といわれるほど熱い戦いだった。引退したのは07年1月。さて、今どうしているのか?
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3月21日午後、東京都中野区の沼袋区民活動センター。坂本博之さんは困窮家庭児童の学習支援を行っている「中野つむぎ塾」の卒業式に出席していた。
「僕は14年からここを応援していて、17年に運営団体『ここからプロジェクト』がNPO法人に認証される際、副理事長になりました。毎週土曜日夜の中学生を対象とした無料塾、月2回のこども食堂、そして困窮者向けに日用品の配布活動もしています」
塾には毎回、10~15人の子供たちが集まり、ボランティアの先生が教えているという。
「僕が現役だった2000年7月に、養護施設の子供たちを支援するために『こころの青空基金』を立ち上げました。その活動の一環として困窮家庭の子供たちも応援するようになったんです。新型コロナ禍で、シングル家庭はじめ、本当にお困りの方や子供が増えていることを実感しますね」
その後、坂本さんは自身がオーナーで、10年8月8日にオープンした「SRSボクシングジム」(荒川区西日暮里)へ。
「SRSは、『天まで届くほど高く』『人々の心の輪』の意味を込めた『Skyhigh RingS』の略で、『ボクシングを通じて人の輪をつくり、子供たちに光と希望を示そう』と思って名付けました」
会員数は約100人で、男子7人、女子4人がプロ登録。アトム級の犬飼萌美選手は、18日に後楽園ホールで開催された試合で見事、判定勝利を収めたばかり。
昨年12月に開催された「東日本新人王トーナメント2020」で準優勝だった苗村修悟選手は、坂本さん同様に児童養護施設出身のフライ級ボクサーだ。
ボクシングとの出合いは13年前。生まれてすぐに双子の兄とともに施設に入れられた苗村選手が13歳の時だった。
「ボクシングを楽しむイベントで、彼がいた施設に慰問に行ってるんです。その時に彼にミット打ちをさせ、『いいもの持ってるじゃねえか。もしよかったらオレの所へ来い』って言ったんです。彼は、その言葉を励みに高校を出てから金を貯め、僕のところに来ました」
苗村選手は、新人王戦の直前取材で「施設にいる子供は荒れるんです。親の虐待とか、捨てられたりいろんな思いを抱えていて。自分がいたときは先輩の“ヤキ”がすごかった」と話し、そんな時に会った坂本さんは「優しくて堂々としていて、自信に満ちあふれている感じでかっこよかった」と振り返っていた。
坂本さんは言う。
「僕がボクシングを知ったのも福岡市内にある和白青松園という養護施設でした。たまたまボクシングの試合を見て、すごくボクサーが輝いてるように思った。これしかない(!)って。だから苗村選手の気持ちがよくわかる」
幼少期の虐待、2人の子供の死を乗り越え…
前述した「こころの青空基金」も、やはり原点は和白青松園にある。
坂本さんは両親の離婚により預けられた知人宅で虐待され、笑いを失った幼少期を過ごした。
「飯は食わしてもらえない、トイレだって鍵をかけられ使わせてもらえない。そんな家でした。だから暖かい布団と三度三度ご飯を食べられる青松園は別世界のように思いました。僕ら兄弟が生きられたのは、園のおかげです」
幼少の頃から“人のぬくもりを感じる家庭”に憧れた。だが最愛の女性と01年に結婚したものの、02年に第1子は死産で、そして04年に奥さんの子宮破裂のため第2子を亡くしている。精神的にどん底だった。
「でもね。人は死んでも語り続ければ心の中に生きている、と思い直し、2人に手を合わせ、毎日声に出して語り続けることにしました」
そして引退後の翌年、長女を授かった。
「4月から中学生なんです。バドミントン部に入りたいって言ってます。ボクシング? いやー、ボクシングは僕だけで十分ですよ。アハハハ」
「こころの青空基金」は数多くのサポーターに支援され21年目。今も毎年、十数カ所、児童養護施設を訪れている。
(取材・文=高鍬真之)