大学生チームは1992年のバルセロナ五輪予選で惨敗した
サッカー日本五輪代表物語 #3
ワールドカップ(W杯)の優勝国は覚えていても、オリンピック(五輪)で金メダルを獲得した国を覚えているファンやサポーターは少ないだろう。
まして日本が出場していない1996年アトランタ五輪以前の大会なら、なおさらだ。その中でも地味な大会となったのが、1992年バルセロナ五輪である。
というのもバルセロナ五輪からサッカーは〈23歳以下の大会〉になったからだ。
プロもアマも、W杯に出場した選手も参加できるようになったが、年齢制限なしのオーバーエイジ(OA)枠もなかった。当時の注目度は、さほど高くなかった。
さて日本である。
1989年のイタリアW杯アジア1次予選で北朝鮮の後塵を拝してしまった日本代表。
4年前のメキシコW杯アジア予選と2年前のソウル五輪アジア予選では、最終予選まで勝ち進んだだけに1次予選敗退にファンが落胆したのも当然だった。
指揮官の横山謙三氏(1943年1月生まれ。埼玉県出身。川口高-立教大-三菱。メキシコ五輪銅メダル。元日本代表選監督)の解任を求める署名が、原宿・岸記念体育館内のJFA(日本サッカー協会)に提出されるという前代未聞の出来事も起きた。