1982年来日 韓国初のプロを率いた老監督との邂逅<下>
1882年2月、読売クラブ(現東京V)と一戦を交えるために来日した韓国初のプロチーム「ハレルヤ」。試合前日の公開練習で筆者は、チームを率いる金容植(キム・ヨンスク)監督と2人っきりで会話を交わすチャンスに恵まれた。
サッカー専門誌記者2年目の若造に金監督は練習をそっちのけで熱心に語りかけてきた。
「ハレルヤ」というチーム名にしたのは、当時「宗教活動をしないとプロのチームを作れなかった」。なので選手は全員が信者ということになっていることだった。
その頃の日本は、まだまだアマチュア全盛の時代だった。「プロ=金に執着する者」とネガティブなイメージがつきまとった。
韓国にしても、日本と同様に「プロ」という言葉にアレルギーが少なからずあったのだろう。それ故に「ハレルヤ」は、宗教色を帯びた形態を取らざるを得なかったようだ。
公開練習に訪れた唯一の取材者に対して金監督が一番、力説していたのが「プロのチームを作らないとアジアは世界から取り残される」という痛切な危機感だった。