【クライミング】原田海は予選敗退で悔し涙→24年パリに希望! 高校時代の“お宝”エピは…
学校生活ではクラス代表を務めた。学園祭で行われる学年別クラス対抗の合唱コンクールの際は、歌唱後のパフォーマンスを自ら考案。「朝練も積極的に参加してくれました。原田君がクラスを引っ張ってくれたお陰もあり、結果は12クラスで優勝です」とは井上教諭だ。
2、3年時は国際大会を経験し、神奈川大へ進学。その頃からスポンサーも付いた。株式会社ホロンシステムは原田の活動を支援する代わりに、同社が経営するクライミングジム(現在は株式会社ラフィーネインターナショナルが所有)でアルバイトすることを条件とした。当時原田が勤めていた「Fish and Bird二子玉川店」の店長をしていた酒井悠さん(現在は同・東陽町店店長)がこう語る。
■「選手として強いだけじゃダメ」
「もともと客として来ていた海君は、趣味や息抜きではなく練習目的だからいつも真剣。正直、クールでとっつきにくいなという印象でした。アルバイトとして入った当初はどの程度モチベーションがあるのかと訝しんでいたら、驚きましたよ。海君から接客の方法などアドバイスを求めてきたのです。『クライミング選手として強いだけじゃダメなんで。他のところもできないと』と。おしゃべりではないけど、仲良くなったら意外とノリも良くて、可愛げがあった。店にも馴染んでいましたが、世界的に実力が評価されはじめて忙しくなり……、勤務期間は大学1年の秋から半年ほどでした」