開催都市としてのビジョンなき東京「五輪開会式」からメッセージ性が消えるのは必然
森山高至(建築エコノミスト)
ニュースでは連日、金メダルの行方と同じ枠内で、コロナ感染者数が報道された。喜んでいいのか悲しむべきか、歓喜と不安が世論を包み込んでいた。まさに「一利一害」という言葉がそのまま当てはまる事態であり、五輪開会式は、そのことを象徴するような内容であったと言える。
そもそも開会式の役目とは何であろうか。セレモニーだ。セレモニーとは、ある形式にのっとって行われる儀式、式典とある。五輪開会式とは、繰り返し行われてきた形式に、祝賀や祈念が盛り込まれたものであるべきなのだ。
1964年の東京五輪にはそれがあった。当時の東京五輪では、太平洋戦争からの日本の復興を祈念し、国際社会への復帰を祝賀したものであることは、日本人全員に共有されていた。
幻と呼ばれる40年の東京五輪においても、帝国主義時代の植民地支配の中で数少ないアジアの独立国である日本が、欧米列強に伍してアジアで初めて五輪を開くという目的があった。日本のプレゼンスを高めようとしたわけだ。プレゼンスとは「存在」という意味だが、特に軍隊や国家がある地域に進出、駐留して軍事的、経済的に影響力を持つことを指す。
つまり、開催国、都市の存在感を示すことが五輪の正体。その中心的機会が開会式なのである。
1964年の東京五輪は高度成長期の嚆矢に
加えて、64年の東京五輪では、東京都だけでなく日本全域の都市構造の一大変革が進められた。メインスタジアムの国立競技場や武道館をはじめとする各競技用施設や選手村。環状7号、空港モノレール、首都高速や新幹線といった公共交通機関などのインフラも新設され、東京という都市機能も大きく変貌を遂げる機会となった。日本各地においても種々の建設やインフラ整備が進み、その後に続く高度成長期の嚆矢となった。
では、今回の2020東京五輪はどうであろうか。開会式の総合演出が直前まで二転三転したことが話題となった。しかし、真に問題とすべきは開催都市・東京としてのテーマがどこにもなかったことだ。
過去の開催都市がいずれも、社会変革の契機として都市的なスケールで未来へつながる政策を模索し実行したことと比較し、今回の東京五輪では全くそのような議論すら見られなかった。開催都市のビジョンがなければ、開会式が一貫したメッセージを発信し得ないことも、不完全なセレモニーとなってしまうことも必然だったのだ。
都市論を持たぬ都市は、いずれ機能不全を起こしてしまうだろう。
世界中に残る遺跡の中には、かつて繁栄を見た都市や国家が跡形もなく消え失せ、荒野の中に朽ち果てた残骸となったものも少なくない。為政者が具体的な都市政策に関心を持たなくなり、人々の幸福を目指さなくなったなら、東京という都市もそうならないという保証はないのである。
▽森山高至(もりやま・たかし)1965年、岡山県生まれ。1級建築士。早大理工学部卒業後、設計事務所を経て、早大政治経済学部大学院修了。地方自治体主導のまちづくりや公共施設のコンサルティングを行う。