爆撃機ミュラーが見たくて真冬の国立競技場で寝袋にくるまった高2の冬
1970年大会以前も以後もW杯1大会で2桁のゴールを記録したのは、1950年スイス大会のシャンドール・コチシュ(11ゴール/ハンガリー)、1958年スウェーデン大会のジュスト・フォンテーヌ(13ゴール/フランス)、そしてミュラーの3人しかいない。
ミュラーは、4年後に地元で開催されたW杯でも4ゴールを決め、通算14ゴールとしてフォンテーヌを抜いて「W杯最多得点記録」を塗り替えた。この記録は、2006年ドイツW杯でブラジル代表のロナウド(15ゴール)に更新されるまで32年間に渡り、最多記録として輝き続けた(ドイツ代表のミロスラフ・クローゼが2014年ブラジル大会で通算16ゴールをマークして更新。クローゼは4大会に出場しての記録更新だった)。
■西ドイツW杯の決勝ゴールは前代未聞の「マジック」
西ドイツW杯の決勝では、オランダがキックオフから一度も西ドイツにボールを渡すことなく攻め込み、1分にヨハン・クライフがマーカーのベルティ・フォクツを振り切ってペナルティーエリアに入ったところをウリ・ヘーネスに倒され、PKを獲得した。