著者のコラム一覧
六川亨サッカージャーナリスト

1957年、東京都板橋区出まれ。法政大卒。月刊サッカーダイジェストの記者を振り出しに隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長を歴任。01年にサカダイを離れ、CALCIO2002の編集長を兼務しながら浦和レッズマガジンなど数誌を創刊。W杯、EURO、南米選手権、五輪などを精力的に取材。10年3月にフリーのサッカージャーナリストに。携帯サイト「超ワールドサッカー」でメルマガやコラムを長年執筆。主な著書に「Jリーグ・レジェンド」シリーズ、「Jリーグ・スーパーゴールズ」、「サッカー戦術ルネッサンス」、「ストライカー特別講座」(東邦出版)など。

爆撃機ミュラーが見たくて真冬の国立競技場で寝袋にくるまった高2の冬

公開日: 更新日:

 話を1974年の西ドイツ代表に戻そうーー。

 翌1975年、ミュラーはもちろんのことフランツ・ベッケンバウアーやゲオルグ・シュバルツェンベックらW杯優勝メンバーを擁するバイエルンが、1月に来日して日本代表と2試合を行った。

 高校2年生だった筆者は、始発電車に乗ってJR千駄ヶ谷駅まで行き、千駄ヶ谷門の隣の(普段は使われない)北一門に一番乗りを果たし、シュラフにくるまって開門を待ったものである。

 7日に行われた第2戦は、この日本遠征で初めてチームに帯同したテスト生のカール・ハインツ・ルンメニゲ(元バイエルン会長)が決勝点を決め、2試合連続してバイエルンが1ー0のスコアで勝利を収めた。

 ミュラーは泥田のようなグラウンドコンディションにもかかわらず、ペナルティーエリア内左でマーカーの清雲栄純(法政大学ー古河電工でDFとして活躍。古河の監督時代はアジアクラブ選手権=現ACLで優勝。その後は市原や大宮の監督を歴任)を背にしてパスを受けるとタテに行くと見せ、後ろに戻りながら反転して正対するとすかさず清雲の逆を突き、再びタテに抜け出してマークを完璧に外した。

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    大谷翔平の28年ロス五輪出場が困難な「3つの理由」 選手会専務理事と直接会談も“武器”にならず

  2. 2

    “氷河期世代”安住紳一郎アナはなぜ炎上を阻止できず? Nキャス「氷河期特集」識者の笑顔に非難の声も

  3. 3

    不謹慎だが…4番の金本知憲さんの本塁打を素直に喜べなかった。気持ちが切れてしまうのだ

  4. 4

    バント失敗で即二軍落ちしたとき岡田二軍監督に救われた。全て「本音」なところが尊敬できた

  5. 5

    大阪万博の「跡地利用」基本計画は“横文字てんこ盛り”で意味不明…それより赤字対策が先ちゃうか?

  1. 6

    大谷翔平が看破した佐々木朗希の課題…「思うように投げられないかもしれない」

  2. 7

    大谷「二刀流」あと1年での“強制終了”に現実味…圧巻パフォーマンスの代償、2年連続5度目の手術

  3. 8

    国民民主党は“用済み”寸前…石破首相が高校授業料無償化めぐる維新の要求に「満額回答」で大ピンチ

  4. 9

    野村監督に「不平不満を持っているようにしか見えない」と問い詰められて…

  5. 10

    「今岡、お前か?」 マル秘の “ノムラの考え” が流出すると犯人だと疑われたが…