爆撃機ミュラーが見たくて真冬の国立競技場で寝袋にくるまった高2の冬
話を1974年の西ドイツ代表に戻そうーー。
翌1975年、ミュラーはもちろんのことフランツ・ベッケンバウアーやゲオルグ・シュバルツェンベックらW杯優勝メンバーを擁するバイエルンが、1月に来日して日本代表と2試合を行った。
高校2年生だった筆者は、始発電車に乗ってJR千駄ヶ谷駅まで行き、千駄ヶ谷門の隣の(普段は使われない)北一門に一番乗りを果たし、シュラフにくるまって開門を待ったものである。
7日に行われた第2戦は、この日本遠征で初めてチームに帯同したテスト生のカール・ハインツ・ルンメニゲ(元バイエルン会長)が決勝点を決め、2試合連続してバイエルンが1ー0のスコアで勝利を収めた。
ミュラーは泥田のようなグラウンドコンディションにもかかわらず、ペナルティーエリア内左でマーカーの清雲栄純(法政大学ー古河電工でDFとして活躍。古河の監督時代はアジアクラブ選手権=現ACLで優勝。その後は市原や大宮の監督を歴任)を背にしてパスを受けるとタテに行くと見せ、後ろに戻りながら反転して正対するとすかさず清雲の逆を突き、再びタテに抜け出してマークを完璧に外した。