東京五輪「ユルフン」の実態…選手、関係者、報道陣はやりたい放題のお粗末
史上初の無観客で強行開催された東京五輪。組織委は開幕前に新型コロナウイルス感染防止策をまとめた「プレーブック」を作成し、定期的なPCR検査、全ての参加者に対し、健康管理アプリを通じて体温や体調の報告を義務付けた。
が、大会期間中の感染者数はパラリンピックも含めて863人。内訳を見ると選手は41人で、大会関係者201人を筆頭にメディア50人、ボランティア40人とアスリートと接触する機会の多かった関係者からも少なからず感染者が出たのは決して偶然ではない。感染防止策の実態は緩々でお粗末だったからだ。
国内外の報道陣の中には、健康管理アプリにアクセスすらせず、PCR検査も受けずに会場で取材する記者もいたほど。試合後の囲み取材は人数制限が設けられながら、注目度の高い競技には記者が殺到。報道陣からは「当時の日本で最も密な空間だったのは間違いない」との声も。携帯アプリでのコントロールには抜け穴も多く、ルール破りは日常茶飯事だった。
各競技とも日本人選手が出場する決勝を盛り上げるため、ボランティアスタッフをスタンドに動員。もちろん、座席は一定の間隔を空けて配置したが、日本人選手の勝利が決まると、禁止されているはずの歓声を送るシーンも随所に見られた。
大会関係者もやりたい放題。東京観光する選手はもちろん、「バブル外」の会場周辺で選手を出待ちする女性に声をかける者もいた。
IOCのバッハ会長は12月8日の会見で「東京大会は安全に行われ、大成功だった」と自画自賛したが、悪い冗談だ。