「冬季中華体育大会」となり果てたオリンピックにゃ心が沸き立たん
冬の五輪で印象深かったのは1994年リレハンメル大会。知らない北欧の小さな街で、どっかの国みたいにわざわざ「お・も・て・な・し」とか強調して宣伝しなくても、「そうかい、来たのかい、さあ入っておいで」と手作りの温かさで各国選手をもてなした。
なんだか夜中に道に迷ってたどり着いた小さな明かりでもてなされた温かさというかね。あれが最後だったかな。
以来、日本選手のだれが金メダル取ろうとも、どっか素直に喜べない。カネに糸目ぁつけません。豪華絢爛に着飾らせた会場はレガシーもクソもあるかいポイ捨て廃虚になってもわしゃ知らん。長野五輪のボブスレー会場が夏草ぼうぼうの廃虚となったのを見に行って、いっそこの際、長大流しソーメンに再利用できませんかね? と本気で書いたもんだ。
だから「船木ぃぃ」とべそかいて、ワッと飛び上がって日の丸(第2次)飛行隊集まって肩車するのを北京で再現されても、もひとつ心が沸き立たん。
■IOCバッハ会長も揉み手で愛想笑い