星野監督は中日時代から明大出身のコーチなどで周辺をガッチリ固めていた。中日にいた時、「星野派」のあるコーチに「変化球を投げろ」と指示され、打たれた途端、「おまえのせいだ」と言われて衝突。星野監督に事情を説明し、「あの人がコーチなら、捕手なんてやっていられません」と直訴したことがあった。
それでもそのコーチは翌年も留任し、私は外野へコンバート。そして巨人へトレードとなった。星野監督は、そのコーチを守ったのだ。当時は悶々としたこともあるが、時を経て、知らないところで私のことを推薦してくれたのだった。