著者のコラム一覧
阿波野秀幸元プロ野球選手

1964年7月28日、神奈川県生まれ。桜丘高、亜大を経て、86年のドラフト1位で巨人、大洋(現DeNA)を含めた3球団競合の末、近鉄に入団。87年、新人王、89年は19勝(8敗)、183奪三振で最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得。その後、巨人、横浜でプレー、通算75勝68敗5セーブ。引退後は巨人、横浜、住友金属鹿島、中日などでコーチを務めた。

王手をかけた98年日本シリーズ第6戦 マウンドに向かう途中で「10.19」リリーフがよぎった

公開日: 更新日:

「抑えろよ!」

「なんとか頼む!」

 割れんばかりの声援の中、私は一塁側のブルペンからリリーフカーに乗ってマウンドへ向かった--。

 本拠地横浜スタジアムのスタンドは、チームカラーの青一色。当時はウエーブがあった。通常は相手のファンと半々だから、半分まで行ったら戻ってくる感じだけど、球場をウエーブが一周したほど。スタンドのほとんどは横浜ファンで埋め尽くされ、西武ファンは球場の一角だった。

 1998年10月26日の日本シリーズ第6戦。シリーズは横浜の2連勝でスタートし、その後、2連敗。第5戦で打線が20安打17得点と爆発、3勝2敗と王手をかけて始まった第6戦は終盤まで緊迫した。

 両チーム無得点で迎えた八回、横浜が1死二塁のピンチを迎えた場面で、私は先発の川村丈夫をリリーフすることになった。

 迎える西武の打者は3番・高木大成に、4番・鈴木健。ヒットを打たれれば先制を許す。そのまま押し切られれば3勝3敗のタイに持ち込まれてしまう。いわばシリーズの行方を左右する重要な局面だ。

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    大谷翔平の28年ロス五輪出場が困難な「3つの理由」 選手会専務理事と直接会談も“武器”にならず

  2. 2

    “氷河期世代”安住紳一郎アナはなぜ炎上を阻止できず? Nキャス「氷河期特集」識者の笑顔に非難の声も

  3. 3

    不謹慎だが…4番の金本知憲さんの本塁打を素直に喜べなかった。気持ちが切れてしまうのだ

  4. 4

    バント失敗で即二軍落ちしたとき岡田二軍監督に救われた。全て「本音」なところが尊敬できた

  5. 5

    大阪万博の「跡地利用」基本計画は“横文字てんこ盛り”で意味不明…それより赤字対策が先ちゃうか?

  1. 6

    大谷翔平が看破した佐々木朗希の課題…「思うように投げられないかもしれない」

  2. 7

    大谷「二刀流」あと1年での“強制終了”に現実味…圧巻パフォーマンスの代償、2年連続5度目の手術

  3. 8

    国民民主党は“用済み”寸前…石破首相が高校授業料無償化めぐる維新の要求に「満額回答」で大ピンチ

  4. 9

    野村監督に「不平不満を持っているようにしか見えない」と問い詰められて…

  5. 10

    「今岡、お前か?」 マル秘の “ノムラの考え” が流出すると犯人だと疑われたが…