JFA元専務理事・森健児氏を悼む 「よく取材しているじゃないか」豪快ながらも繊細な人情家だった
8月24日に85年の生涯を閉じた森健児さんが、日本サッカー協会(JFA)の専務理事を務めていた時代──。
JFAの職員から「森さんがゲンダイの記事を読んでご立腹。謝罪に来た方が……」という電話が入った。
JFAのビルで対面した森さんは、会うなりガッハッハと豪快に笑いながら「森健児がJFA内で怒鳴ってばかり。職員が萎縮している。そう書いてあったな。よく取材しているじゃないか。そうだよ、仕事の出来ないヤツは叱り飛ばすしかないからな」。
叱責されると思った(期待した⁉︎)職員の拍子抜けした顔を思い出す。
2002年日韓W杯が終わり、JFAは岡野俊一郎(故人)会長体制から川淵三郎会長(Jリーグ初代チェアマン)体制に移行。森さんはサッカー界と距離を置いた。
それからJリーグにまつわるよもやま話を話してくれる機会が増えた。頭脳明晰ながら豪放磊落さを随所に感じさせつつ、時に繊細な人情家としての一面がこぼれ出た。
慶応大から三菱重工に入社し、30代半ば過ぎに三菱創業100周年記念事業として東京・巣鴨に総合スポーツクラブ「三菱養和会」を建設するという大役を任された。