JFA元専務理事・森健児氏を悼む 「よく取材しているじゃないか」豪快ながらも繊細な人情家だった
森さんは、養和会を三菱グループ社員の福利厚生の場にしないでサッカー場、体育館、プールなどスポーツ施設を地域住民に開放。1970年代にいち早くJリーグの基本理念「地域密着」を具現化した。
1980年代にJSL(日本サッカーリーグ)事務局の総責任者・総務主事(現Jリーグ・チェアマン)だった森さんの先見の明と「プロ化しないと日本サッカーは滅びる」と訴え続けた木之本興三JSL事務長(故人)の行動力が絶妙にリンクし、1993年にJリーグ発足として結実した。
その木之本さんは2007年、難病バージャー病によって右足を膝上から切断した。
森さんと入院先の千葉大病院にお見舞いに行った。
「ツーショット写真を撮りましょう。モリケンさん、ベッドに少しだけ腰掛けて下さい」。木之本さんが笑いながら「ちょっと森さん、グイグイ来ないで下さいよ。ベッドから落ちてしまうじゃないですか」「おっ、すまん、すまん」と森さん。
Jリーグを作った2人の無邪気な会話を思い出す。
モリケンさん、安らかにお眠りください。
(文=絹見誠司/日刊ゲンダイ)