元阪神・鳥谷敬さんの人生を変えた病に苦しむ弟の姿「どんなことにも終わりがある」覚悟でプロの道へ
鳥谷敬さん(野球解説者/41歳)
阪神タイガースに16年間在籍、千葉ロッテマリーンズで昨年、現役を引退した鉄人、鳥谷敬さん。1939試合連続出場記録は歴代2位、遊撃手としてシーズン最多打点など数々の記録を打ち立てたスタープレーヤーだ。野球解説者や社会人野球パナソニックのコーチなどとして新しい一歩を踏み出し、プロで培った心身のトレーニングについて書いた新刊「疲れない体と不屈のメンタル」を上梓したばかり。そんな鳥谷さんの人生を大きく変えた瞬間は……。
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プロ野球選手として記憶に残る瞬間というと、プロ入りして初試合の巨人戦でヒットを打った瞬間、2005年にセ・リーグ優勝を決めた試合で金本(知憲)さんがレフトフライをキャッチした瞬間ですね。13年にWBC日本代表に選出され、チャイニーズ・タイペイ戦で盗塁を決めて勝利に貢献した瞬間も……。
でも、人生を変えた瞬間というと大学3年の時に、病に苦しむ弟の姿を見た時ですね。
弟は僕と同じ道をたどって野球をやってきたのですが、高校2年の時、ネフローゼ症候群という腎臓病で突然、野球をやめざるを得なくなってしまったんです。当時、僕は寮生活で弟とは離れて暮らし、実家に帰省するのは正月など年に数回。弟の体調のことは両親から聞いてはいました。しかし、久しぶりに帰省し、全身がパンパンにむくみ、下痢や吐き気で苦しみ、起き上がることもできず、生死をさまよう弟の姿を見て驚きました。
弟は僕と同じ聖望学園高野球部でキャッチャーを務め、将来を期待されていました。僕よりセンスが良くて、バットを振って自主練するなど努力もしていました。それが原因不明の病で突然、できなくなってしまうなんて。
僕は3兄弟の長男で、3歳下と5歳下の弟がいて、病を患ったのは一番下の弟です。年が離れているので幼い頃に一緒に遊んだり話をしたりした記憶はほとんどなく、兄弟というより、野球部の怖い先輩と後輩という感覚に近かったかもしれません。家で弟が、僕の部屋に入る時は、ノックをして「失礼します」と言って入ってきていましたから。そんな関係でしたが、この時は弟に何と言葉をかけたらいいのか分かりませんでした。
その頃の僕は存分に野球ができる体なのに、本当に真剣に野球に取り組んでいるとは言えませんでした。受け身だったり「今日はトレーニングしたくないなぁ」と怠け心が生まれたり。
そんな生活でしたから野球をいつか終える時が来ることを想像したこともありませんでした。でも、その時は必ずやって来る、もしかしたら明日かもしれないし、事故に遭って突然、野球ができなくなるということだってある。そうなる可能性を弟の姿を見て気がつき、もっと本気で野球に取り組まなくてはいけないと覚悟ができました。プロ野球選手になることは大学に入った時から意識していましたが、本気になったのはこの時からです。