メッシW杯V悲願達成の裏にプレースタイルの変化 「代表では輝けない男」のレッテル完全払拭
1986年W杯優勝の立役者マラドーナの呪縛にも苦しめられた。マラドーナは貧民窟の出身であることを包み隠さず、母国愛とアルゼンチン代表愛を声高に叫んで誰からも愛された。無口で控えめなメッシは、どうしてもマラドーナと比較されてしまい、不本意ながら<アルゼンチン代表では輝けない男>という烙印を押された。こうしたメッシに付きまとったネガティブな感情が、今回の自身W杯初制覇ですべて消え去ったのです」
悲願達成には、メッシ自身がプレースタイルを変貌させたことも後押しとなった。前出の中山氏がこう言う。
「21年8月、20年在籍したバルセロナを離れてフランス1部パリSGに移籍。エムバペ、ブラジル代表ネイマールと大物選手のチームメートになったことで、自分が中心になって動かなくてもゴールを奪って勝てることを皮膚感覚で学び、それをアルゼンチン代表でも踏襲した。これまでのアルゼンチン代表は<戦術メッシ>とばかりに大黒柱に頼る一方。現代表はメッシだけに依存しない戦い方を徹底でき、それがチーム力アップにつながりました」
メッシは優勝決定の瞬間から、歓喜の涙にむせぶことなく、表彰台でもにこやかな表情を崩さなかった。何度も重圧に押しつぶされ、何度も涙を流してきたからこそ、悲願の世界一達成を笑顔で祝いたかったのだろう。