社会人4年目、ロッテからドラ4指名されると会見場から「あーあ」とタメ息が漏れたが…
最終回
二松学舎大付高3年時、プロ志望の私はドラフトで指名をもらえず、社会人の東芝府中に拾ってもらった。入社1年目の夏から4番を任されたが、練習はハードで高校時代とは雲泥の差だった。その後、1989年にロッテに入団した際は「プロの練習はなんて楽なんだろう」と感じたほど。何をやっても壊れない体の強さが自慢だった私は、後にプロで17年間戦う基礎をつくり上げた。
NTT東京(現NTT東日本)、プリンスホテルの補強選手として3年連続で都市対抗に出場したが、自チームの東芝府中では一度も出られなかった。
プロ解禁年の3年目は成績が良くなかったため残留。4年目にプロ入りを希望すると、会社から「全てクリアしたらOK」と3つの条件が出された。
1、関東の球団
2、ドラフト3位以内
3、ロッテ以外
3は以前、東芝府中からロッテに入団した落合博満さん以外の社会人出身選手の待遇が良くなかったことが理由。ドラフト4位でロッテから指名されると、会社関係者が集まった会見場から「あーあ」とタメ息が漏れた。周囲にいた関係者は誰も喜んでいなかった。