立大セレクションで驚愕、先輩を差し置き「一番風呂の主」は1年生の長嶋一茂さんだった
埼玉・坂戸の中学時代は軟式野球部に入っていた。高校は漠然と東武東上線沿線の強豪・川越商(現・市川越)に進学したいと思っていた。
家庭の事情で東京・池袋に戻ることになったのが中3の時。この時の担任の教師が二松学舎大付出身だった。私はこの学校を知らなかったが、「練習会(セレクション)があるから行ってみるか?」と勧められ、行ってみたら合格。秋の東京大会準優勝で翌春センバツ出場を確実にしていたこともあり、入学してもいいかなと思った。
入学前、甲子園に行って全試合を観戦。決勝でPL学園に敗れたが、準優勝したのを見届けて入部した。
千葉・柏にある寮に入れるのは10人と決まっていた。朝、東京・九段下の学校に通うため、寮から柏駅までの送迎ワゴン車の定員が10人だったからだ。
私は入学早々、入寮を許可された。内訳は1年生2人、2年生2人、3年生6人。当時は50畳の大部屋に10人で雑魚寝。人数が少ないため、1年生の仕事は特になく、食器洗いもジャンケンで決めるようなアットホームな雰囲気だった。3年生には現監督の市原勝人さんがいて、練習試合の1試合目は市原さん、2試合目は1年生の私が投げていた。投手同士、面倒を見てもらったが、私が発した言葉は「はい」「いいえ」「存じません」の3つだけ。そんな時代だった。